闘い続ける 前・衆議院議員田中けいしゅう


 

        「法務大臣辞任に至る経緯とお詫び」




 今回、法務大臣兼拉致問題担当大臣を辞任致し、みなさまに大変ご迷惑をおかけ致しました。心より陳謝申し上げます。

 

●外国人献金問題について

 10月4日付の朝日新聞に報じられて以来、厳しいご批判をいただいた外国人献金の問題について説明させていただきます。
 外国籍と指摘されたこの方は横浜生まれの横浜育ちです。小学校から日本で学び日本の大学を卒業された方で、地元横浜の中小企業関係者を中心に、国政報告に基づいた意見交換を行うための私の勉強会に毎月参加を続けておられ、私どもは日本の方と認識しておりました。
 また違法とされた「寄付金」は、あくまでも勉強会の会場となるホテルの会場費や朝食代、資料代などとして毎回5千円程度を徴集させていただいたものです。忘年会や新年会など季節ごとの懇親会の会費として、年6万円から7万円程度を会費として集めさせていただいた分もこれに含まれます。
 そもそも今回の件は、徴集させていただいた参加費を本来分類すべき「その他の事業」として処理していれば問題にはならなかったことでした。会費をいただいた外国籍の方にも寄付行為にあたるとの認識はなかったはずです。政治資金規正法に関する私どもの認識不足から、結果として多くの支持者・有権者のみなさまに誤解を与えることとなり、大変なご迷惑とご心配をおかけすることになってしまったことを深く反省し、お詫び申し上げます。
 また、問題とされた会費は税法上何ら問題のないものであり、ご指摘を受けた政治資金規正法違反に関しても即時修正し返金させていただいたことを付け加えてご報告させていただきます。

 

●暴力団関係者との交際について

 週刊新潮の記事による30年前とも22年前ともいわれている暴力団関係者との件につきましては、確かに事実関係があったとはいえ、「暴力団関係者との交際が発覚」などと取り上げられ、それらが拡大解釈されて暴力団との癒着が今もって続いているようなニュアンスの報道がなされました。
 今までに出席している政治パーティーなど、さまざまなパーティーは、おそらく4000を超えるほどで、数えきれないものになっています。問題の記事は、その中の記憶について包み隠さず正直に申し上げたことが、却って暴力団との関係を認め、今もってつながりを深めているような、私にとって不本意といわざるを得ない間違った報道内容となってしまいました。 

  

●委員会欠席について

 18日の参院決算委員会の欠席については、法務省内において早朝から答弁打ち合わせを行ない、また、ドイツ連邦司法省の表敬訪問を受けるなど、通常の公務を果たして12時35分には法務省を後にして、通告通り午後12時50分からの質疑に応じるために院内の大臣控え室において委員会が始まるまで待機をしていました。ところが急きょ、天皇・皇后両陛下や三権の長が出席の第60回全国調停委員大会及び調停制度施行90周年記念式典に出て欲しいと指示され、会場の国立劇場に向かうことになりました。
 私は自民党・熊谷委員の質疑時間の変更で式典が終ってから答弁のために委員会に戻ると思っていたところ、今度は日独刑法の意見交換会のためにドイツ大使館に行って担当大臣として挨拶して欲しいとの要請を受けました。結果として私は委員会に出席することができませんでした。
 18日の参院決算委員会で、公務を理由に欠席したことを憲法違反と指摘されたことについては、政府は11月9日の閣議で「欠席に正当な理由があるかを適切に判断した。憲法に違反するという問題は生じない」とする野党議員からの質問主意書に対する答弁書を決定しています。



●体調不良と入院について

 また、翌19日には参院行政監視委員会で、復興予算の法務省関係の遣い道についての説明を求められており、当然委員会に出席するために準備を進めていました。それが前日夜、急きょ北海道の月形刑務所視察を伝えられました。しかし当日の朝には一転して中止となりました。私自身体調不良はあったものの、公務を遂行するつもりでいましたが、周囲からの強い勧めで都内の病院に入院することになってしまいました。検査により胸痛、高血圧、不整脈、進行性貧血と診断され、その原因は過剰な心身のストレスが関与したものと考えられることから、引き続き加療を要するため入院することになりました。
 委員会欠席から入院に至るまで、この一連の流れはどのような経緯で成されてきたのか、まったくわかりませんが、重要な委員会への欠席など、私の意に反することであったことは明確に申し上げておきます。
入院中は上空をヘリコプターがまい、狭い病院前の歩道を20〜30台と、数えきれないカメラの放列、報道陣が占拠する状況に患者さまを含む病院の関係者や近隣住民の方々には大変なご迷惑をおかけすることとなってしまい、大変申し訳なく思っています。
 これ以上病院にも近隣の方々にも迷惑をかけることはできないとの判断から22日の夕方に退院し、議員宿舎に戻ることになりました。退院時期を明らかにしなかったのは、極力報道陣からの取材による混乱と近隣への迷惑を避けるために、やむを得ずとった手段でした。



●辞任の決定と記者会見について

 親しい仲間と相談し、国民に対しても、また政府、党に対しても、これ以上の混乱と迷惑をおかけすることは許されないとの思いから、大臣の職を辞することを決意しました。
 23日朝、9時過ぎには総理に向けて辞表を提出。引き続き幹事長室、そして国対には病院からの私の診断書を提出しました。
 当然ながら閣議に出席して閣議後の記者会見において辞任に至る説明責任を果たすべく準備をしていた矢先、極度のストレスからか激痛を伴う急性胃炎(入院後の病院の診断結果)を発症してしまいました。
 激痛は緊急処置を要するほどの厳しい状態であり、不必要な混乱を避けるため、やむを得ず目立たぬようにとワゴン車を用意して議員宿舎を抜けだしての再入院となりました。

 体調の急変があったとはいえ、閣議後の記者会見で辞任説明を行なうことができなかったことは、みなさまに重ねて不信感を抱かせることとなり、心からお詫び申し上げなければなりません。
 尚、辞任にあたり党所属国会議員とマスコミ各社に対し、コメントをFAXさせていただきました。



●新潮社への警告書提出について

 今般の週刊誌掲載記事に対しては事実と異なる部分や、また根拠の曖昧なところ、私に関係する第三者の方々にも多大な迷惑が及び、これらがあたかも真実であるかのような印象を読者に与え、当初から私をおとしいれる如くの記事構成になっていることに強く抗議し、名誉を著しく傷つける無責任な報道に対し、既に法的措置として弁護士を通じて「株式会社新潮社」に警告書を提出しています。



●一国会議員として成すべきこと

 最後になりますが、拉致問題担当大臣として節目の10年目を迎え、直接総理に拉致被害者家族の切なる気持ちを伝えさせていただくなど、解決に向けて一歩でも前進させていかなければならないとの重責を担いながらも、期待に応えられず被害者ご家族には大変ご迷惑をおかけし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 担当大臣を外れた今も、少しでもお役に立てばと拉致被害者救済の署名活動を続けさせていただいています。
 私は「継続は力なり」と常に思っています。中途半端に終らせず、これからも一国会議員として拉致問題の解決に全力で取り組んでいくことを申し述べさせていただきます。