深刻な社会問題「いじめ」をただせ
子どもの「いじめ」による自殺が社会問題化しています。「いじめ」に絡む小中高校生の暴行事件は3年連続増加を続けています。(警察庁まとめ)
発生件数も全国で約2万件にも達していることが文部科学省の調査でわかりました。また、県内だけでみると2019件、暴力行為に至っては過去最多の6088件(10月20日付神奈川新聞)で最悪となっています。昨年の全国での自殺は105件、過去最多だった1979年の380件と比較すると数字的には減少していますが、実は1999年以降、「いじめ」による自殺はゼロと公表されているのです。これは統計をとる際の動機づけが「学友との不和」となっていて、はっきりとした「いじめ」を断定する項目がありませんでした。つまり「いじめ」の実態を正確に反映することができなかったのです。来年1月の調査からは「いじめ」項目の新設が決まりました。実態を、より正確に把握することができ、適切な対応がとれるようになると思います。
そもそも、いじめを引き起こす原因は、国の曖昧な教育政策にあるのです。
例えば、本来教育委員会は教育現場やその現状を十分認識してその指針をつくっていかなければなりません。ところが、人口360万人の横浜市は6人。70、80万人の島根や鳥取も同じように6人。そして大和、藤沢、鎌倉は5人。このような状況で教育現場の対応が十分なのでしょうか。教育委員会そのものが、今や形骸化していると言わざるを得ません。昨年9月、「いじめ」の被害を訴えたのに、市教育委が事実を隠していた北海道滝川市の小6女児の事例も報告されています。制度そのものの見直しが必要になってきていると思うのです。
教育とは子どもの優れた部分を伸ばすことです。しかし、教育現場は必ずしもそのような環境になっているとは言えません。優れた部分を伸ばす指導が、一応は行われていますが、その反面、全てを平均化してレベルアップしようとするところに新たな問題も生じてきているのです。指導にそぐわない生徒がでてくる。それをみんな「いじめ」の対象にしてしまう。昔は、「強きをくじき弱きを助ける」でした。しかしその風潮がなくなっています。「いじめ」の理由を、3人に1人が「力が弱い、無抵抗だから」と回答していることもわかりました。「いじめ」の問題は早い段階でその芽を摘み取っておかないと、社会人になってからも繰り返されてしまいます。また、痛みを感じることもなく相手を傷つけ、リセットすれば何度でも生き返るパソコンゲームが自己中心的な子どもをつくり出していることも確かです。勝者にならなければ気がすまない。そういう点で、いたわりの気持ち、仲間を大切にする精神に欠け、人を傷つけても平気になってしまうのです。パソコンゲームを与える親も、成長過程の中で子どもの変化を十分把握できなくなっているのではないでしょうか。
今後、「いじめ」の撲滅に向けて家庭、学校、社会が一元化して取り組んでいかなければなりません。また、文部科学省も教育現場を知らずにデスクワークで対応しているところに問題があります。教育現場を熟知した人がその任にあたる必要があるのです。
はたして5、6人の教育委員会で義務教育から高校教育までの全部を把握することができるのでしょうか。政治は生活者のためにあります。政治がこれらのことを含め、もう一度組織的な見直しをはかる時期にきていると思います。
破棄すべき日朝・平壌宣言
唯一の被爆国、日本が核廃絶へ向けてのリーダーシップを示せ
外交とは、お互いの信頼関係の上に成り立つもの。ところが、全く通用しないのが北朝鮮です。小泉前首相はその相手国と日朝・平壌宣言を交わしたのです。この宣言にはミサイル、核問題の解決が謳われていますが、ミサイルの発射を続け、6カ国協議を核開発の時間稼ぎに利用する。エネルギーや食糧など、北朝鮮の求めに応じた支援協力は裏切られた形となっています。それでも「北朝鮮の努力の後がうかがえる。経済制裁は考えていない」などと、前首相は誤ったメッセージを送り続けてきました。それが今日の暴走を許す結果につながっているのです。宣言には懸案の拉致問題が一切触れられていません。拉致問題は解決済みとうそぶく北朝鮮は日朝・平壌宣言を踏みにじり、不誠実極まりない対応をとり続けています。
パキスタンのカーン博士による核技術の拡散。そして北朝鮮による核の拡散が、自爆攻撃を聖戦とするテロリストに渡ったら世界の平和は維持できません。北朝鮮の核保有は日本への脅威だけでなく、世界中にも大変な事態を招くことになるのです。
核保有国が「核を持つな」と言っても説得力に欠けます。日本は非核三原則のもとで核廃絶を訴えてきました。そして産業用の技術開発・技術革新によって今日の繁栄を築き上げてきたのです。日本政府は、この素晴らしい選択を北朝鮮はじめ、核を保有しようとする国々に強いメッセージとして送り続け、全世界に向けて、そのリーダーシップをとっていくべきだと思うのです。