八月十五日は戦後六十一回目の終戦記念日です。戦争の悲惨な出来事を風化させてはなりません。六日には広島に、そして九日には長崎にと立て続けに原爆が投下され、今年、原爆死没者名簿は広島が二十一万七千七百八十七人、長崎十四万百四十四人となりました。大きな犠牲が終戦を決意させる切掛けとなりましたが、被爆した人の後遺症は六十一年経っても癒えず、原爆症の認定申請を求めた訴訟が今なお続いています。
二〇〇一年に導入した原爆症の認定基準は、単に判定の目安を定めたもので、爆心からの距離、残留放射線など、個々人の状況を十分に検討していたものではありません。尊い生命を我が国、平和国家の基本とするなら、認定制度の範囲と被爆者救済行政を見直して、被爆者が納得できる保障をしていくべきです。そして、世界で唯一の被爆国として、核廃絶に向けての力強いメッセージを全世界に向けて送り続けていかなくてはならないのです。
小泉首相・政治利用した靖国参拝
小泉首相は八月十五日に靖国参拝の公約を守るという話が出ています。公約を守ることは政治家として大切ですが、昨年の衆院選前にはサラリーマン大増税はしないと言っておきながら、一年経ったら配偶者の特別控除はなくなり定率減税も廃止、医療費、高齢者への税負担も増えてしまいました。また「百年安心の年金制度」も、安心とは裏腹に十年間にわたって負担が増え続け給付は下る一方になってしまいました。今や持続可能な年金制度は影も形も見られません。介護保険も障害者自立支援も、どれもが国民との安心を約束したものとは逆になり、負担だけを強いる「公約破り」になってしまっています。首相の公約とはこんなものだったのです。しかし、靖国参拝だけは続けています。都合によって公約を使い分けるのが小泉首相のやり方なのです。
国民の暮らしを大切にし、無駄のない行政の仕組みをつくることが政治本来の目的です。ところが戦後六十一年、安心の暮らしをつくりだすための政治目的が失われて、今では格差社会が拡大する状況となってしまいました。小泉首相の五年間はいったい何だったのでしょう。首相になってからの五年間は、それまでに行ったことのない靖国参拝を続ける、それは「二度と戦争を繰り返さない誓いのために、英霊に哀悼の誠を捧げるため」だとか。意地で押し通す参拝は、外交面への影響を考えても、本当に国益にかなうことなのでしょうか。政治と経済は切り離すことはできません。車の両輪、表裏一体の関係です。経済界からも参拝自粛を求める声がでているとも言われているのです。
東京裁判で大戦を引き起こしたとされるA級戦犯と、それによって犠牲になった人たちとの合祀が一九七八年に行われました。戦争指導者とその指揮命令下、大戦で犠牲になった人との区別はハッキリとした方が良いと思います。そして、なぜ昭和天皇の靖国参拝が取り止めになったのか、正しい歴史説明を後世に伝えていかなくてはなりません。
昭和天皇はA級戦犯合祀に強い不快感を持っていたことが、元宮内庁長官のメモから明らかになりました。国家の象徴である陛下のお心は尊重していかなければならないと思います。しかし、首相は「心の問題だから陛下にもさまざまな思いがおありになったんだと思う」、そして「参拝は自由だ」と言って、陛下のお考えが首相の靖国参拝への動きに影響しないことを強調しました。
首相は靖国参拝という心の問題を政治の問題にしてしまったのです。靖国参拝を自民党総裁選の公約にして、政治利用してしまったのです。このために、中国、韓国からは外交問題としてとりあげられ、ギクシャクした関係が続くことになってしまったのです。
憲法二十条第三項に「国及びその機関は宗教教育、その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定められています。参拝は中国、韓国に文句を言われる以前の、我が国自身の法律に関する国内問題なのです。公約を使い分けするようなやり方は政治不信を抱く元になってしまいます。
今の教育で日本の歴史、特に近代史が軽んじられています。戦後生まれの人たちには、第二次大戦の認識が薄れてきています。日本とアメリカが戦争をしたこと、どちらが勝ったのかも知らない高校生がいます。これでは中国、韓国の同年代の生徒と議論することすらできず、私たちの本当の考え、気持ちを伝えていくことはできません。近代史を含め、もっとしっかりした歴史教育が必要なのです。