指導力失った小泉首相
国会は終盤を迎え、重要法案である教育基本法、憲法改正に伴う国民投票法、組織犯罪処罰法の共謀罪、社会保険庁改革法案などが、すべて小泉首相の「今国会は会期延長しない」との強い意向で先送りされようとしています。その理由は、米国訪問とサミットを前に、残り任期を親米首相として最後になるブッシュ外交に専念したいとか、自民党総裁選で、参院選に向けて私たち小沢・民主党を相手に有利に戦う準備を進たいためだとか、いろいろ取りざたされています。
当初、偽メール問題で私たち民主党が揺れ動いている間に、自民与党は数の勢いで一気呵成に重要法案を押し通せると踏んでいたようです。ところが、小沢・民主党の誕生で形勢が大きく変わり、自民与党の思惑が外れてしまったのです。自民党内でも重要法案の先送りを示唆する首相に対し、批判が噴出し始めていると言われています。
そもそも、審議を尽くさずに大事な法案を成立させようとするところに無理があるのです。共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法の改正で、自民与党は反対していた民主党修正案を全面的に受け入れる意向を示しました。日本にとって世界各国と連携する上でもテロに対する共謀罪の成立は必要です。ところが、今国会でとりあえず成立させ、次期国会で再修正させようとの腹積もりなのです。最終的には政府案を通そうとする、まるでだまし討ちとしか言いようのない奇策には賛成する訳にはいかないのです。
自民党が奇策を弄した背景には、国会の会期を延長したくないとする首相の考えがあるからですが、当の首相は「議論を見ていると、面白い。政府案が全部悪いという見方なのか、民主党案が良くても政府がのんだからいけないのか」と、まるで他人ごとのように語ったと言われています。
首相は郵政の民営化などで市場のグローバル化を進め、格差社会をさらに拡大させてしまいました。小泉首相は日本の指導者としてふさわしかったのでしょうか。官僚主導政治を変えられず、弱者にしわ寄せが及ぶ社会をつくりだしてしまった今、「真の指導者とは何か」を考えさせられてしまいます。
国民年金の危機 社保庁解体が第一歩
二〇〇五年の出生率が過去最低の一・二五に落ち込んだことが明らかになりました。少子化傾向が政府の推計より早いペースで進行していることがわかったのです。出生率は年金をはじめとする社会保障制度全体の基礎データとして使われています。子どもを産み育てやすい環境をつくりだし、少子化対策を進める一方で、早急な年金制度の見直しが必要になっています。特に国民年金が欠陥であることが指摘されて、社会保険庁改革関連法案も提出されているのです。
このような矢先、半数近くに落ち込んだ年金未納者の納付率を上げるために、社保庁がおこなった年金免除の手続に不正があったことが判明しました。社保庁の腐りきった体質が改善されていないのです。
年金納付率が偽装だったことは、社保庁改革関連法案の審議の前提が崩れたことになります。この法案に盛り込まれている社保庁の年金事業機構への衣替えも、看板を掛け替えるだけでしかありません。民間からの長官起用も管理・指導力不足で、責任は重いものがあります。「責任があるからこそ、民間起用の長官が最後まで役目を務めるべき」との意見もありますが、社保庁は不要であり、既に何度も限界をみせつけられているのです。首のすげ替えだけで、年金の空洞化も年金不信も払しょくすることはできません。組織の温存ではなく、国民本位の仕事がキチンとできるかが大切なのです。
二〇〇四年の年金改革法案では、年金の手取り収入の五割を確約していながら、参院での強行採決後は給付水準を下方修正しました。保険料の算出基準になる出生率も公表を遅らせ、情報操作をおこない誤魔化しました。全国各地の保養所・福祉施設、豪華な官舎、高額家賃の補てん、公用車の購入、出張費、時間外手当の保険料流用など、分かっただけでも五兆六千億円もの無駄遣いがあったことを私たちは指摘してきました。その上、業務怠慢、既得権と天下り温存など、いい加減な社保庁のあり方が暴き出されてきたのです。それでも自民与党は「百年安心の年金改革」といって、国民の反対を押し切って負担増、給付減となる年金改革法案を二年前に押し通してしまったのです。そして二年が経った今でも何ら改善されていません。厚労省の役人も社保庁も、いい加減な体質はまったく変わ っていないのです。
年金の一元化、福祉目的税化を実現していかないと、生活保護より下回るおかしな年金制度は改められず、老後の暮らしは良くなっていきません。年金改革は、まず腐りきった社保庁の廃止から始めることが第一歩だと、私たちは言い続けているのです。