国政リポートNo.445
2006年1月30日
「安全・安心」に対する甘い政府の危機管理
今年は60年に一回巡る丙戌(ひのえいぬ)の年。「申(さる)酉(とり)騒いで戌吠える」、この年は何があってもおかしくないといわれています。国会は衆院予算委で本格的な審議に入りました。特に、昨年から耐震偽装、米国産牛肉輸入、ライブドア問題と、国民の生活を脅かす社会問題が次々起こり「安全・安心」への国の対策が急務となっています。
衣・食・住は安心して暮らすための生活の三要素です。三要素のひとつ、住宅が耐震偽装問題で、その信頼が大きく揺らいでいます。
そもそも建築確認の民間開放は、規制緩和によるものですが、建築のスピードアップと住宅コストが高過ぎるとする米国の要望であることも無視できません。一応、「小さな政府」を目指し「官から民へ」の流れになっていますが、米国からの指摘は日本が台風、地震国であることなどの気候的、地理的条件が理解されないまま、住宅市場への参入圧力となって本来の規制改革とはまったく違ったものとなってしまいました。
改革を進める中で検査業務が性善説に立って行われてきたこと、行政の監視態勢が機能せず不具合、手抜きをチェックできなかったことが今回の問題を生んだのです。また、検査機関に多くの役人が天下っていることも明らかになり、確認業務が形式化していたこともわかりました。企業責任、社会的責任、行政責任を明確にし、偽装の再発防止を徹底していかなければなりません。
米国に言われるままの市場開放がすべて国益につながるわけではありません。国の監視が必要なこともあります。安全に関する検査行為はもっと慎重であるべきです。
夢の住宅は一生に一度の買い物です。慎重な住宅選びも構造の欠陥までは見抜けません。その部分を突かれたのが今回の問題です。危険は偽装建築物の周辺住民にまで及びます。政治、行政の責任で対策を講じ、一刻も速い不安解消が求められています。
食の安全も懸念されています。危険部位が付いたままの牛肉が輸入されたことで僅か一カ月、再び輸入禁止措置が執られました。米国からは過剰反応との向きもありますが、「安全・安心」は輸入する側の立場を尊重すべきものです。日本では国内産牛肉は二年半前から全頭検査をしています。安全性を前提の日本産牛肉はどの国からも高く買われています。しかし米国は日本製品に課徴金をチラつかせ小泉・ブッシュ会談を機に米国産牛肉の解禁を迫ったのです。ヨーロッパでは米国産牛肉が解禁されていないことを考えても本来なら輸入できる状況にはないのです。もっと慎重であるべきなのです。
金融の安全も確かなものにしていかなければなりません。ライブドア問題は「貯蓄から投資へ」と拙速な市場万能主義を掲げる小泉改革に警鐘を鳴らした結果となりました。これも市場開放を求める米国圧力によるものが大きいのです。M&Aによる外資導入、金儲けのためには手段を選ばずの発想は、農産物・工業製品など日本が長年築き上げてきたモノづくりの精神から逸脱するものです。資源の乏しい日本にとって経済を活性化するにはモノづくりによって付加価値を高めること、そして企業は技術の大切さ、汗の尊さを忘れてはいけないのです。
今まで株式会社は信頼を前提に最低資本金一千万円が必要でした。これが会社法の改正で一円企業が認められるようになりました。起業家の市場参入を容易にすることは悪いことではありませんが、マネーゲームを目的に起業しやすくするような米国流の考え方は疑問です。さらに株式分割を認めたことでデイトレーダーを増やし、その結果ロンドン、ニューヨークと並ぶ国際マーケットの東証がシステムダウンを起こしてしまいました。金融庁、証券取引等監視委員会の管理機能が発揮できない状況は危機管理意識の欠如と言うほかはありません。
今、改めて「安全・安心」に対する危機管理が問われています。バブル崩壊後、企業間の競争が激化し「見つからなければ何でもあり」の風潮ができ上がってしまいました。そのために企業の倫理感、法令順守の精神が叫ばれるようにもなりました。特に米国の要望通りに進められている小泉構造改革は、今回の一連の問題でも明らかになったように危険と隣合わせなのです。
食、住、金融の危機はすべて私たちが危惧し「危機管理に問題あり」と指摘してきたものばかりです。後先見ずに進められる小泉構造改革の無謀なスピードは、改革という名の道路を無免許で暴走しているようなものです。何時、何処で事故が起きても不思議ではありません。国家国民が事故の巻き添えにならぬよう、規制緩和ならぬ規制強化の必要性と危機管理のあり方を改めて考え直さなければならないと思うのです。
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