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●そがべ久美子 お礼の挨拶
無名の新人、そがべ久美子をここまで連れてきてくださいまして本当にありがとうございました。みなさまのお力がなければ何もできないでいました。12月からは真っ暗な長いトンネルの中にいる気持ちでした。
田中先生から一番最初に教えられたことは、「とにかく選挙と子づくりは自分でするものだ。だから、自分の足を使って自分で一軒でも多く地域を回りなさい」このように教わりました。そういわれて飛び出してはみたものの、こういった活動自体が素人で何をしていいか、泣きたいような情けないような、そんな気持ちでいっぱいでした。
そがべ久美子を知ってる方は殆どおいでにならないし、仕方がないので苦肉の策で「田中けいしゅう事務所から参りました」といって、一軒一軒お訪ねしました。それでも「はい、どうぞ」と、快く開けてくれる家は極めて少なくて、しょげている時間が殆どでした。そのうち、もともとの図々しさもありまして、とりあえず話ができ「資料を入れさせてください」と。自分のリーフレットがみなさんのお手もとに届けられる。それだけですごく嬉しくて、感謝の気分でいっぱいになりました。
めげそうになった時に、いつも「プラス志向」、これしか自分を支えるものはないというように考えて、毎日を送ってまいりました。
田中先生のお言葉ですと、「とにかく自分が一生懸命やっていれば、おまえのその姿を見て初めておまえを支えてやろう、助けてやろう、そういう人が必ず出てくるから頑張れ」といわれて毎日尻をたたかれました。
それで気がついたら、私の周りに素敵な輪がドンドン広がって、いつのまにかすごく大きなお神輿ができているのに気づいて、こんなに立派なお神輿に乗っていいんだろうか、今度はそっちが不安になってしまったんです。
情けないというか、不甲斐ないというか、みなさまにとって物足りなかった候補者だと思うんです。こうして人前で喋ることなどなかったものですから、最初のうち、このようなセッティングがあると聞いただけで、2、3日前から体調が悪くなって、心臓がドキドキして「いやだ、いやだ」と、本当に思っていました。
実際、その場になると、緊張している私以上に聞いていらっしゃるみなさまが、こぶしを握って「頑張れよ、何とかしろよ」って、そういう、声のない声援が伝わってきました。
そんなことを繰り返しているうちに、何だか私までも自信があるというわけではないんですが、少しずつ慣れてきて、自分の考えていること、自分がどうしてこのような立場にいるのか、私がみなさまの生活の声、これを女性の立場で県政に届けて暮らしを少しでもよくする、主婦として母親として、いままで県政にはあまり届いていない、そういった目線でみなさまの暮らしを少しでもよくしよう、できればそれが一番いいことだと、そういう考えでずっとお話をさせていただくようになりました。
本当に、ここまでみなさまが連れてきてくださったお陰で、私はみなさまの力とみなさまの声が、私を県政におくって下さったものと確信しております。将来、みなさまの声を決して無にするようなことは致しません。そして、一生忘れることなくみなさまのために働くことをお誓い致します。
そがべ久美子は、自分の中で一番大切にしていた姉を亡くしてしまいました。姉は「自分に、もし不幸があれば、自分が先にいなくなるようなことがあれば、何をおいても田中の兄と、よいな亭の兄を私の代わりに必ず助けて欲しい。そのように、いつも私たち兄弟のことを心配していてくれる、私にとって大切な姉でした。悲しくって、でも泣かないことを決めたんです。それは、そがべ久美子のためにたくさんの方が応援してくださっている。それも仕事や家庭のことを二の次にして、犠牲にして、私のために朝早くから夜遅くの会議まで、ご苦労かけっぱなしで、そんな方たちに顔向けできないようなことをしてはいけないと思って、絶対に泣かないことを決めました。
お陰さまで、本当にみなさま方のお力で北井さん(県会候補・北井宏昭)も、また内田さん、星野さん、川辺さん、(市会候補の内田しげお、星野くにかず、川辺よしお)3人の市会の方も一緒に当選することができて、本当に心残りがありません。本当にありがとうございました。
本番中、ずっと遅くまで私を支えてくれたドライバーのみなさん、私の代わりに上手にお話してくださったウグイスさんたちに、本当にありがとう。事務所のみなさん、ありがとうございました。
佐野さん(そがべ事務所・選対事務長)はインフルエンザでタミフルを飲みながら、とうとう休まずに支えてくれました。
田中先生、怒ってくれてありがとうございました。みなさん、優しくしてくれてありがとうございました。
先生に怒られても、みなさんがいらっしゃったから、頑張ってこれました。
本当にありがとうございました。
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