政治をもっと身近に
国会議員は派手な生活を送っている。一般的にこんなイメージが持たれているようです。会合と称して、赤坂の料理屋から赤い顔をして出てくるところを、茶の間のテレビが映しだす。運転手つきの黒塗り高級車が、会合を終えた議員を乗せて、どこへともなく夜の街へと消え去って行く。ましてや、芸能人との派手なお付き合いでもあるなどと報じられたりしたら、国会議員は派手な遊びをしていると、国民誰もがそう思うのは当たり前かも知れません。
かつて「昼間は国会で居眠りをし、夜の巷で政治が動く」こんなことが囁かれたときもあったような気がします。特に、2、30年くらい前は、与党の政治家はどこへ行っても特権階級として特別扱いをうける、そんなよき時代だったようです。
僕は、野党暮らししか経験していないので、与党の政治家の当時の様子を伺い知ることはできませんが、ただ、いまはマスコミが報じるほど、国会議員は優雅でもないしラクでもありません。
マスコミ報道は国会議員の行動をだいぶ誇張ぎみに報道している面があると思います。いまだに国民は、国会議員が当時のように、みんな料亭で会合を開き、運転手つきの黒塗り高級車を乗り回している。そのために、こんな誤ったイメージができあがってしまったのではないでしょうか。
かばんを背負って、紙袋を両手に抱え、地下鉄やタクシーで登院する議員もたくさんいます。僕も、普段は自分で車を運転して国会まできています。黒塗りの高級車でもないし、運転手つきでもありません。
僕の国会事務所は、衆議院第一議員会館の四階にあります。委員会が終り、会館の事務所に戻って執務を済ますと、秘書と一緒にエレベーターで一階の玄関まで降りて、玄関横の駐車場に停めてある自分の車に乗り込みます。秘書は会館づめですから、ただ見送るだけです。僕が一人で車を運転して会館をでるのですが、あるとき、ちょっとした切っ掛けで、同じ横浜方面に帰ると言う、まったく見知らぬ父娘を車に乗せてあげることになったのです。
最初はかたくななまでに遠慮していましたが、高齢でもあるし「助かります」と言いながら、娘さんと二人で車の後部座席に乗り込むことになったのです。てっきり秘書が運転し、僕が後部座席に座ると思ったのでしょう。ところが、僕が運転席に座ったものですから、その人は「先生が運転なさるんですか」とビックリするやら恐縮するやら。
僕にとって、特別なことをしているわけではないのですが、他の人にとっては議員自らが運転する、これは特別なことに見えるようです。国会の先生は偉い、偉い先生が自ら運転はしない、ましてや通りすがりの見知らぬ人を乗せはしない、こんな固定観念が働いてしまう。
本当は、もっと国会議員のことをよく知って欲しいのです。運転手つきの黒塗り高級車ばかりではありません。電車で登院もします。どこの世界でもあると思いますが、一部特権意識の強い人を除いては、一般の議員は本当に国民の皆さんとまったく同じ暮らし向きをしているのです。
議員自身、国民を代表する責任をシッカリと自覚していなければなりません。政治家としての奉仕する気持ち、心構えはいつも正しく持っておかないと、日本の政治はおかしくなってしまうと思うのです。
政治や法案審議を国民に身近に感じてもらいたい。なるべく分かりやすくするにはどうしたらいいか。駅頭での演説、チラシやパンフレットの配付、ミニ集会、ホームページ、どれもみんな実行しています。でも、もっと身近に政治に接してもらうものが何かあるのではないか。
いま、日本では何が起きているのか、国会ではどんなことが審議されているのか。委員会で、僕がどの担当大臣にどんな質疑をしているのかを是非知って欲しいと思ったのです。こんなことから、僕は「国会リポート」の発信を思い立ちました。少しでも政治に関心を寄せてもらえれば、と願ったのです。政治に無関心では日本の発展がありません。みんなで日本の政治に関心を持って、この国をよくしていかなければならないのです。
週一回の便り
そんなわけで、国会リポートを制作することになりました。僕が、衆議院議員に帰り咲いた平成9年3月以来、毎週一回のペースで国会リポートをだし続けています。
今年の7月で333号を迎えました。この6年間、公選法で一切の宣伝活動が禁止されたとき以外は、正月も含めて一度も休んだことはありません。
「横浜リポート」というミニコミタウン紙に国会リポートが紹介されたことがあります。「政策論争絞り込み、毎週金曜日に集録」との小見出しで、次のように紹介されました。
一週間以内に起きたさまざまの法案審議の問題、或いはこれを巡る与野党の政策論争等を忠実に絞り込み、その場で原稿を作成して、横書きのB4版にまとめあげるというもので、発行手順はまさに日刊紙並、即座に約3000人を対象に、ファクスで送るという手際よさ。ファクスをもらった方はもらったで、これまた友人や知人筋向けに転送すると言うから、その動きを加算しても、読者層は優に5000人を越えるのではないかと見てはばからない。
国会リポート読者層は、日本の政治の真髄を知る上で、これほど貴重なリポートはない・・・と位置づけ、同議員に対して心からの声援を送り続けている。田中代議士は国会リポートの制作に当たって「私は生来の武骨者だから、毎週一回のこの行事が臆することなく続けられたのだと思う」・・・と語っているが、このリポートが一時の思い付きからではなく、忙殺の合間を縫い、体力の限界を越えて、しかも政情に屈することなく続けてこられたのは、武骨者の持つ根性とチャレンジャー精神の何ものでもなかった・・・。
日刊紙の場合は、中央政治の動きをそのまま伝えるとしても、時の政権与党に対し、必ずしも公平な報道とは言えない場合もあるが、このリポートで私が一番心掛けているのは、言論の無責任性の打破を基調としていること、もちろん政権与党の権力的姿勢を徹底的に追及することに変わりはないとしても、国民のために早くしなければならないことについては、国の根幹をなす公共事業改革の問題、行政機構改革、社会保障と教育改革の問題、或いは税金問題等で具体的提言をしていくことも忘れない・・・もちろんこのリポートを政権与党の有力者に堂々と送りつけてみたところ、リポートを褒めあげたうえ、「あなたの期待に添うよう頑張りますよ」・・・との返事をよこした某有力議員もあったという。
国会リポートを通じて、僕は、小泉首相に三度にわたって「小泉首相への書簡」として、発信したことがあります。1回目は、小泉新内閣発足時の2001年4月30日、2回目は同年6月25日、3回目は同年10月1日、そして4回目を翌年4月4日に発信しています。
小泉首相への書簡
拝啓 今回の田中真紀子外相更迭は、首相の申される一内閣一閣僚の考え方を根底から覆すこととなりました。首相は「苦渋の決断ではあったが外務省の問題が政府全体の問題にかかわってきたことは私の責任である」と、予算審議を控え、今回の処分に踏み切った旨を述べられました。しかし、外相更迭の根本的な理由には、まったく触れられませんでした。政府見解も「NGO参加決定にあたり、特定の議員の主張に従ったものではない」と、曖昧です。
公金流用事件など、透明性を高めなければならないはずの外務省改革は中途半端な状態です。明治時代から続く官尊民卑の官僚感覚も直していかなければなりません。外務省内部の改革に本腰を入れて取り組んでいかないと日本は国際的に信用を落とし、世界の潮流から取り残されてしまいます。外務省が国際社会の中で変ぼうを遂げられる好機であると思うのですが、残念ながらその気概が今の貴殿からは感じられません。うやむやにすることで国民の政治不信は助長されてしまいます。景気もよくならず、改革も掛け声倒れに終ってしまいます。貴殿に寄せる国民の期待も急速に衰えて、この機に乗じて改革の抵抗勢力は一気に巻き返しを図ってくることでしょう。
国民は、党、派閥、しがらみを断ち切った政治を期待していたのに、結局は党の力学が働いてしまいました。ためらわずに権力構造、利権構造の改革を進めて欲しいと思います。
国民が改革を願っていることは紛れもない事実です。従来の官僚主導の自民党政治を望んでいないことは貴殿も十分承知のはずです。しかし、党内基盤の弱い貴殿にとっては抵抗勢力との妥協が少しずつ図られていく姿を見ると、やはり改革は無理との感を抱かざるを得ません。
構造改革は、本来、民主党の提言でした。貴殿が首相になられ、この改革の必要性を説かれ、改革を一生懸命に進めている姿勢は誰でも認めるところです。これは自民党政権下であっても、国民の高い支持があったからこそできたことです。しかし、今では国民に向いていた貴殿の顔は、いつのまにか自民党派閥、族議員に向いてしまっています。貴殿の元気な掛け声は、結果的には国民を欺き、希望を与えるどころか不安だけを残すこととなっているのです。自信たっぷりのパフォーマンスは、今や国民の多くが失望すら感じていることをお分かりでしょうか。
特殊法人改革では道路公団の第三者機関の人選で党内から強い抵抗が出る。また、三方一両損と言いながらも国民に負担を強いることになる医療制度改革も曖昧さを残しています。
「改革」を、ただ口にしているだけで国民が納得できる方向性が示されていません。通常国会を皮切に、残念ながら改革への期待は薄れ、逆行する動きとなっているのではないでしょうか。ニューヨークで開催中のダボス会議でも構造改革を進める速度が遅すぎるとの懸念や批判が吹き出していると伝えられています。
株価は一万円を割り、円安が止まりません。失業、倒産、そして自殺者は増えるばかりです。政府の対策は後手に回り貴殿の経済対策は中小企業切り捨てと言わざるを得ません。構造改革の必要性は、私の考えと一致するものがありました。ただ、大きな違いは改革に伴う痛みに対する対応です。
改革が進めば倒産、失業などの社会不安が生じます。社会不安は国民の心理を萎縮させ経済回復に悪影響を及ぼします。そのためにも、まず不安材料を取り除く対策が必要であると主張してきました。今回の予算付けでも、結果的に中小企業対策が後回しにされています。私は、常々日本経済を支える中小企業の資金の円滑化を図る政策を何度も提言してきました。
大手銀行だけが生き残り、中小企業が痛みをもろに受ける金融政策には反対です。中小企業が資金繰りで苦しい思いをしていることを本当にご存知なのでしょうか。私は地元中小企業経営者とは時間が許す限り会うことで、生の声、現場の厳しい状況をつぶさに感じています。貴殿の「米百俵」の精神も素晴らしい話ですが、特に中小企業経営者や職を失った人たちは明日の糧をどうするか、せっぱ詰まった状態に追い込まれています。改革も結構、しかし今、貴殿の改革に一番欠けているものは「血も涙もある政治とは何か」を肌で感じ取ることだと思います。
敬具
二〇〇二年四月四日
内閣総理大臣 小泉純一郎様
衆議院議員 田中 慶秋
2003年9月出版本「日本の進むべき道」より転載
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