闘い続ける 前・衆議院議員田中けいしゅう

02 生涯現役社会


 生涯現役社会をめざして 

 日本は世界に例を見ない速さで高齢化を迎えています。これからは、これに対応できるような社会をつくっていかなくてはなりません。高齢者が長く元気で働ける「生涯現役社会」の形成です。
 昔は人生50年と言われるほどで、いまから見ると極端に寿命が短い社会でした。だから高齢者が働くという社会背景も、感覚も余りありませんでした。ところが、いまでは平均寿命が男性は七十八歳、女性では八十四・九歳と、元気なお年寄りが多くなってきています。65歳以上の高齢者人口は約2360万人と、総人口に占める割合も18・5%となっています。75歳以上では1000万人を突破しているのです。

 現在、30人以上の従業員を抱える企業の約九割は定年退職制度をとっています。サラリーマンの定年をかつての五十五歳から60歳に引き上げる会社が、いまでは一般的になっていて、法律で定められている最も低い基準の60歳定年が9割を占めています。寿命が延びることは喜ばしいことなのですが、60歳になると、どんなに元気で働く意志や能力があっても「会社を辞めてください」と言うのが定年退職制度なのです。この制度は高齢者が培ってきた経験や実績を生かし、「元気で、やる気のあるうちは長く働きましょう」という生涯現役社会の考え方と大きく食い違っています。
 厚生労働省の調べで、日本人の労働意欲は非常に高いことが証明されています。アメリカ、ドイツ、フランスなどの先進諸外国から比べると、働く意志のある人は断然多く、世界第一位なのです。60歳代前半の男性では10人に7人が働きたいと思っています。これがアメリカでは6人、ドイツやフランスなど、ヨーロッパに至っては働く意欲のある人は2人とか3人になってしまいます。

 就労意欲が高いのは生活のため、あるいはまた健康維持のためと、働くことの意味を見いだす理由はさまざまだと思いますが、とにかく元気でいる間は働こう、働きたいという気持ちの人が日本の高齢者には非常に多いことがわかります。ところが、60歳代後半になると働きたいと願っている人は3・5人と半分になってしまうのです。これは70歳、80歳の人も含まれているので仕方ないと思われますが、統計をもう少し細かく区切ってみれば、恐らく60歳代後半から70歳代前半くらいではもっと高い数値がでるのではないかと思います。ちなみに、65歳以上の労働力人口(就業者と働きたい意志のある完全失業者)は2001年の統計では492万人で、高齢者全体の21・8%となっています。これは欧米の12・7%と比べても高い比率にあることがわかります。
 世界的にみて、日本の高齢者がこんなにも働く意欲を持っていることは、今後、高齢社会が進む中で日本が世界に先駆けて高齢社会のモデル国家となっていくことができるのではないかと、強い希望を抱いています。

 高齢化は国の働き手をなくし、経済力を衰退させると心配されています。しかし、元気で働く意欲がなえない限り、日本の高齢社会は捨てたものではありません。必ずしも若い人と同じように働かなくても、長年培った経験が大きな支えとなって、それこそ死ぬまで元気で、そしていい仕事ができるような働き方が必ずあるはずです。みんなで知恵をだし合えば、きっと素晴らしい高齢社会が生まれてくるはずです。

 僕の知り合いの家が築10年となって、外壁工事をしました。いまは、くすんだ壁が真っ白になって、新築同様に生まれ変わりました。10年前は吹きつけのざらざらした壁面でしたが、いまは材料や技術の進歩で質感を落さずに新たな工法で、当時よりもさらに高級感のある、そして長持ちのする外壁工事ができたと喜んでいます。
 工事を頼むとき、10年前にその家を建てた住宅メーカーにしようか、或いは大手のペイント会社も熱心にセールスにくるのでそこに頼もうか随分迷ったそうです。見積りを取って検討も重ねました。技術と材料が同じならば少しでも安い方が経済的にも助かります。そうこうしているうちに、近所の家のガレージのペイント工事に出くわしました。黙々とペンキを塗る職人さんの姿から、「ずいぶん丁寧な仕事をしているな」と、素人目にもわかったそうです。

 その塗装店はおやじさんとその息子さんがやっている小さな塗装店です。75歳になるおやじさんは、いまだに元気で足場にのってペンキを塗っています。その塗装店は、今まで一度も下請工事をしたことがないそうです。下請工事をしないということは無理のない工事をしてきているのだと思います。
 結局、僕の知り合いはそのおやじさんの塗装店に工事を頼むことにしたのです。ところが工期は普通の倍近くかかりました。それは、七十五歳のおやじさんが、極端に言えば一日おきに仕事をするくらいのスローペースだったからなのです。要するに疲れたら休み、休んだらまたやる。工事を頼んだ方は「まったく迷惑な話だ」と思うでしょうが、僕の知り合いは、別に急ぐことでもないので、おやじさんに「気が済むようにやってください」と、お願いしたと言うのです。丁寧な仕事に加えて費用も安くあがったのでした。
 一日に8時間働かなくても、例えば2時間でも3時間でも、就労時間を体力気力に合わせて、ある程度自由に選べるようにする。また、75歳の塗装店のおやじさんのように、一日おきでも元気に働ける環境を社会全体が整え支えていくことが、これからは必要なのではないでしょうか。

 効率性を重視して目に見える利益を上げていく。このことは利益追求の市場主義社会の基本であり、重要なことです。反面、時間がかかってもゆっくり仕事ができ、目の前の金銭的な利益ばかりではなく、働くことの意味が健康維持や生甲斐につながる、まったく違った「価値観」があってもいいような気がします。働くことの二極化、棲み分けの労働形態が高齢者を職場から遠ざけない最良の方法だと思います。高齢化が進む中で「生涯現役社会」を形成していく上では、労使ともにこの問題を、今後は掘り下げて考えていかなければならないでしょう。

 僕の大学時代の友人に、500人を超す従業員を抱える食品会社の社長がいます。この会社には定年がありません。元気で働く気持ちさえ充実していれば、いつまでも働けるのです。最高齢の人では80歳を超えています。それぞれが自分のできる範囲で十分に力を発揮しているのです。幅広い年齢層をまんべんなく雇用していることで、この会社は厚生労働省から表彰され、マスコミからも数多くの取材を受けています。
 
 いまは、61歳以上で定年制をとっている会社は一割にも満たないのが現状です。友人の会社のように、定年制をまったくとっていない会社に至っては1%にも達していません。社会の変化やニーズに対応していけるような定年制のあり方を、国も企業も一体となって考えていかなくてはならないと思います。
 フルタイムでなくても、いままでの経験を生かした働き方ができるような職場を確保することが、高齢社会には必要です。僕はこういう労働形態を「部分年金、部分就労」とよんでいます。

 

 部分年金、部分就労

 日本の公的年金制度は、世界的にみても充実しています。年金制度は年金所得があることで、働かなくても老後を送れるという趣旨のもとでつくられた制度ですから、老後の安定を考えれば当然と言えます。その一方で、年金制度が高齢者の現役引退を促進し、就労を抑制しているという意見があります。つまり、年金の支給が就労を抑制しているのなら、これを解決するには支給開始年齢を引き上げることで問題の解決につなげていこうと言う考え方なのです。

 実際に受給資格を得た高齢者でも、働けば働くほど収入が増えます。そうすると年金を削られてしまうのがいまの年金制度なのです。ですから、年金を削られない範囲でしか仕事をしない、つまり就労を抑えてしまうという傾向が現れているのです。そのために、年金をもらいながら就労を続ける60歳代の人は、それまで培った技術や能力が十分に生かせないというデータもでています。せっかく優れた技術や能力がありながら、それが生かせなくなってしまうのは残念なことです。年金制度の功罪が働く形によく現われていると思います。
 これからは高齢者が生涯現役社会の中で働く意欲を失わせてしまうことのないように、年金給付と収入制限の双方の関係を考え直していかなければなりません。仮に、高齢者の就労意欲を持続させるために年金の受給年齢を引き上げていくというのであれば、それに見合った形の退職制度を用意しておかなくてはなりません。いまの法律で定められている最低基準の60歳定年に対しての見直しが必要になります。

 年金需給資格は徐々に上がって、もうすぐ65歳からになります。高齢者を支える若者の数が減ってきていることで、年金の財源も厳しくなっていきます。そして、高齢者が元気ならば、年金給付は70歳からになるかも知れません。僕は高齢者が持っている貴重な経験と優れた技術を生かした就労の形があると思っています。働く時間は2時間でも3時間でもいいのです。これが「部分就労」というものです。そのかわり、年金も満額支給されるのではなく、半分でも三分の一でもいいと思います。これが「部分年金」です。そして高収入を得ている人は別にして、高齢者の賃金には税金をかけません。高齢者の参加で労働生産性も高まります。健康で働く環境をつくっていくことで、高齢者医療の削減にもつながっていくと思っています。

 

 定年退職制度と年功賃金制

 いまでは、ほとんどの会社では60歳になると退職しなければなりません。長年座り慣れたデスクもきれいに片づけて、女子社員から「長い間ごくろうさまでした」と花束を贈られ、通い慣れた会社を後にする。明日からは毎日が日曜日、源氏鶏太の小説ではこれが定年退職の一般的なイメージです。

 昭和の時代、平均寿命もいまほど長くない時代ならこれでいいかも知れませんが、55歳や60歳は一番の働き盛りと言ってもいいくらいで、まだまだ元気で働きたいと、意欲に満ち溢れた時なのです。定年退職制度は働く意志や仕事の能力があってもやめなければならない、労働願望と企業事情とでこんなに矛盾が生じる制度はないと思います。しかし、これは日本型企業の、長く働けば給料が上がる年功賃金制では、どうしても定年退職制度がないと、労働賃金だけは上がり続けて会社経営が成り立たなくなってしまいます。また、若い社員の行き場所がなくなってしまいます。

 最近、10年から20年の間に、日本企業の年功賃金の額は下がってきています。これは雇用の場から年齢を基準とした給料の仕組みが少しづつ変わってきているからです。昇進、昇給の形が勤続年数ではなく能力によるものへと、変化してきているのです。この考え方に基づいて働く形を考えていくと、今までのような一般的で一律な定年退職制度のあり方も変化せざるを得なくなってきてしまいます。つまり会社の雇用条件から勤続年数の上限を引き上げる、または撤廃する。あるいは自分に適した仕事を自分の能力に応じて、こなしていくだけの期間を雇用延長する。そうすれば当然賃金形態も変わっていくというものです。
 何が何でも死ぬまで会社に依存しようという、今までの終身雇用制度の考え方は姿を消して、これからの雇用形態はまったく違うものとなってきているのです。

 高齢者が長年培った経験、知能、技術に対して、若い社員が学ぶことは随分多いと思います。貴重な財産ともいえるノウハウが定年退職と同時に生かされなくなってしまうのは、高齢社会を迎える日本の企業にとっては大損失です。そして、企業は高齢者が働きやすい職場の環境整備を積極的に行っていくことが必要になると思います。そのための設備投資も進めなければなりません。このような設備の改善に、国は税制面で後押しをしていけば、高齢者の雇用にも弾みがつき、企業も国の要望に十分に応えることができるはずです。
 職場をバリアフリーにする。表示を大きく見やすくしたりして、高齢者の労働負担を軽くする。このように職場の快適性を守り従業員が疲れない工夫をしていくことは、高齢者のためばかりでなく、若い働き手にとっても悪いことではありません。
 いまの時代、何でも難しく複雑になっているような気がします。能率を高め、作業効率を上げるのであれば、なるべく簡素でわかりやすいシステムをつくっていくことが一番ではないでしょうか。

 企業収益を上げるために、「合理性の追及」がよく言われます。製品の歩留まり(不良品の数を限りなくゼロに近づける)をよくしろとか、作業効率をあげろとか、つまりは無駄がでると言うことは、どこかに無理が生じるからだと思います。この原因は年齢に関係なく、若い人でも個人の能力、適性に影響していることが多々あります。若い人でも働く職種やその内容によって不都合が生じていることがあるのです。つまり、働く効率性を考えたとき、年齢、経験、適材適所と、理由はまだ他にもあるかも知れませんが、さまざまな要素が複雑にからみあって働く環境ができあがっていると思うのです。老いも若きも、互いに存在価値を高めながら働く場所をつくりだしていく。このように、年齢を基準としない社会の到来が生涯現役社会を形成していくと、僕は思っています。

 

 自営業と外部委託 

 企業が、専門性の高い仕事を必要に応じて外部委託をする場合が多くなりました。高い能力、専門性、そして豊富な実績を持つ人は高齢者に多くいるのです。ビジネスで培った経験は短期間では簡単に手に入りません。これをうまく活用していくことも、生涯現役社会では大きな力となります。
 僕は10年前から母校の同窓生でつくる異業種経済交流会の世話役をしています。自営業者や中小企業の経営者、役職者が集まって、3ヶ月に1回のペースで大学から講師を呼んで、主に経済の話を中心に勉強会を開いています。この中には資源の再開発会社の社長、設計会社、製粉会社、機械設備、広告制作、ソフト開発、経理事務、外食チェーン店、そしてコンビニの店長など、さまざまな人が集まっています。ほとんどがオーナーで、そして定年を過ぎた歳にあたる高齢者の人もたくさんいます。でも、みなさんとても元気に働いているのです。特に自営業の人の頑張りが目につきます。消費が落ち込み、景気が悪いから人の二倍も三倍も働かなくてはと思っているからなのでしょう。それこそ、この人たちにとっては、死ぬときが定年退職なのです。だから、死ぬまでは生涯現役で頑張っていられるのです。

 大手化粧品会社に定年まで勤務し、その後、関連子会社に転出して社長を務めた人がいます。この人は、長年化粧品の香りについての分析を行ってきました。香りの好き嫌いで、その人の性格がある程度分かると言います。香りによる精神分析、嗜好分析、人間の行動パターンも分かると言います。匂いはすべて人の鼻から感じるのですが、どんなにすごい美人でも、体臭がきつくて顔をそむけたくなるような人がたまにいます。日本人には少ないようですが、食べ物が関係していると聞いたことがあります。その人は、「オーデコロン、オードトワレなどは一人ひとりの体臭に合わせた微妙に異なった香りが要求され、とても奥の深い研究なんです」と話しています。
 日本には香を嗅ぐ、色香たつ、匂うが如くいま盛りなりけりと、万葉の時代から匂いにまつわる和歌が多く詠まれて、生活の中に匂いがしっかり溶け込んでいることが分かります。日本人は匂いとの付き合いが深く、それだけ香りの文化を大切にしてきているからなのです。日本人は西欧人と比べて、匂いに敏感なのではと、僕は感じます。この人は、いまも匂いに関する分析を、外部委託の形で引き受けて、その分析結果はよりよい製品づくりに役立てられていると言います。

 外部委託といっても大げさに考える必要はありません。複雑な研究資材とか高価な分析設備もいらないし、資金もさほどかかるものではないのです。設備投資とあえて言うとしたら、敏感に香りを嗅ぎ分けるための健康管理が設備投資とでも言えるのでしょうか。
 日本人の文化でもある貴重な「香り」一筋に研究してきたことが大きな実績となって、その専門性を買われて、いまは全国各地の販売会社で講演活動を続けています。ビジネスで培った経験を、生涯現役生活の理想的な形で自分の財産にしているいい例だと思います。

2003年9月出版本「日本の進むべき道」より転載

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